こんにちは。Konorikoです。
日本で管理栄養士→インド現地採用→マレーシア現地採用→コロナで帰国→インド現地採用(現在)
インド情報、マレーシア情報、そのほか自分の経験や考えのアウトプットし残すためにこのブログを始めました。
自己紹介
- 名前:Konoriko
- 年齢:1991年生まれ
- 出身:広島県
- 職歴:管理栄養士(約3年)、秘書(1年)、インドで不動産営業→マレーシア日系製造業営業
→コロナで帰国・リゾバ→インド日系企業の事務職→インドの日系IT企業で営業(現在) - 好き:料理、お菓子作り、飲み食い、ランニング、ウクレレ、旅行、人間と一緒にいること。
幼少期
広島県の田舎生まれ。
兄と弟に挟まれた真ん中っ子。
瀬戸内海が私にとっての海。
小さいころの夢はセーラームーンになること。
現在の夢は実物大トトロベッドを作ってお昼寝すること。
と、
海の見える窓の大きな家で大好きな人と猫と暮らすこと。
学生生活 京都
府立植物園近くの小さな大学で栄養学を学ぶ。
そもそも管理栄養士を目指したきっかけは中学生の頃のダイエット。
人生マックス太っていたときに周りにからかわれて悔しくてダイエット開始
2か月で-8kgのダイエットに成功したけども、思春期に急激に痩せたせいでいろんなものが乱れて元に戻すのに3年かかった。この頃から食事、栄養、料理について考えるように。
というか他に特に興味があるものがなかったので消去法で栄養学の道へ。
学生生活は同じようにお料理好きな友達に囲まれ、よさこい踊ったり、京都市内を自転車で爆走したり
お花見したり、鴨川デルタで飲んだくれたり本当に楽しかった。初めて海外旅行にも行けた。
アルバイトもたくさん出来て良い経験に
:居酒屋、研究室補助、結婚式場喫茶、カラオケ、試食販売 etc…
大学1年の冬、父が亡くなり、この時初めて「人って死ぬんだ」と認識。親はこんなに早く死なないと思ってた。
地元広島の病院に就職
卒業後は地元である広島県の病院で管理栄養士として勤務
患者さんの栄養管理・栄養指導・献立作成などが主な業務
同病院内で秘書も経験。
急性期の病院。毎日たくさんの患者さんが運ばれてきて、どんどん転院していく。
食事や健康に気を付けていれば防げた病気はたくさんあって
病気になってから気を付けるようになる人はまだマシで、
病気になったからこそ自暴自棄になってしまう人もいた。
「食事を我慢してまで長生きしたくない。」
私は結構冷たい人間で、「誰にも迷惑かけないなら、病気になるのも死ぬのも勝手」と思ってた。
でも誰にも迷惑かけない訳ない
気を付けていれば防げた病気で国の医療費は圧迫されるし、障害が残れば家族は介護という問題を抱える。簡単に死ねると思ったら大間違い。
毎日毎日、同じことを繰り返して、目の前の患者さんの為には少しはなっても、やってもやっても世の中は何も変わらない。この仕事を続けるには私には情熱も愛情も足りない。(且つ一人では生きていけないくらい低賃金)。それが転職理由。
転職活動開始~インド転職へ
かといって自分で管理栄養士の世界を変えるほどの力もノウハウもない
とりあえず管理栄養士からは一度離れよう
でも特にやりたいことなんてない
夢や成し遂げたいこと、向かいたい方向も何もなく、
ずっとうだうだして始めれなかった転職活動をやっと開始。
いろんな人の話を聞いたり、調べたり、考えたりしてふと思い出したのが
「海外に出たい」ということ
目標も野望も特にないけど、海外は子供の頃からのテレビ越しの憧れの世界
「海外に行っただけでは何も変わらない」「海外に行って活躍なんて夢の世界」「憧れで行動するなんて」とかネガティブな意見もたくさんあったけども
「行きたいなら行ってみたらいい。意味がないなんてことはない。絶対意味はある」と言ってくれた人もいた。
今まで散々、ネガティブなことばかりに目が行って、何も行動できなかった。もう足の引っ張り合いはいやだ。
どうせならやりたいことやってみよう。
そんなときに知った海外転職
働きながら海外で生活できるらしい
ということで出来る限りいろんな国の求人を業種職種問わず受けれるだけ受けて
内定をもらった中から選んだのがインドの仕事
インドを選んだ理由は、
”一番大変そうだったから” と ”何かわかんないけどめっちゃ行きたい”と思った から
海外転職してみて途中経過
一度飛び出してみたら、どうってことなかった。
面白いことやってる人、頑張っている人、いままで知らなかった価値観を持っている人、想像したことのない生き方をしている人……、、本当にたくさんの人がいて今まで悩んでいた自分がとても小さく思えた。
一歩踏み出したら、見える世界が変わって、それだけでやってみた価値があった。
どこかにとどまってどうにもならないなら、とりあえず動いてみるのは本当にアリ。
どうせいつか死ぬのだから。好きに生きて何が悪い。そしてひとは簡単には死なない。
やればやるほど、どんどん平気なことが増えていって、どんどん生きやすくなる。
自分で人生を動かしている感覚、自分でちゃんと生きている感覚がどんどん強くなる。
そして結局一人では生きていけないし、周りの人に生かされていることも知れた。
2018年12月〜インド転職
最初のインド生活は9カ月で去ることになったけれど
あのときインドに来るという決断をして本当に良かった
見て聞いて感じたこと、出会った人達、新しい経験、初めての感情
得たものが大きすぎた日々。
インドでの経験があったからこそ次の転職につながったのは事実。
2019年10月〜 マレーシア転職
マレーシアのジョホールバルにて、日系会社の営業職に転職。
マレーシアを中心に周辺4か国の営業拠点だったので海外出張ありのポジション。
仕事で海外を飛び回れる!かっこっいい!という憧れのポジションにつけて大満足。インド出張にも行けてインド経験も活かせる、というめちゃめちゃ良い転職だった。
が、しかし、
2019年から流行し始めた新型コロナウィルスで順調に見えた未来は閉ざされてしまった。
海外出張には一度も行けず、マレーシア国内の営業もままならず。家から出られないためマレーシア生活自体も楽しめない。ロックダウンの日々。一人で孤独。
この時に自分は一人で生活するのに向いていないことが判明。人に会ってワーワー騒いで笑ったり泣いたりしてるときに生きてるって感じるんだよな。いや薄々分かってはいたんだけども、ロックダウン生活が合わなさ過ぎて自分ではどうしようもない位に闇落ちしていく日々。
なぜ今自分はマレーシアにいるのか。孤独で、仕事も思うようにできない、生活も楽しめない。どんどんネガティブになってそこから這い上がれなくなって、このままだと死んでしまうと思った。実際何度か死のうかと思った。世界中で同じような思いを抱えていたひとはたくさんいたと思う。
でも死ななかった。死んだらどうなるか何度も考えた。人に迷惑をかける、それは出来ない。そう思えている内はまだ死なない。それでもう全部やめて日本に帰ることにした。
2020年12月~日本に帰国~
日本に帰国してからまずは自主隔離&寒すぎて引きこもり。実家という帰る場所がまだ自分に残っていたことに感謝。転職活動をしつつ、今しかできないかも、とスキー場で住み込みバイト&休日はスキー滑り放題。フリーランスになれたら超理想!とフリーランスコミュニティを求めてノマド家に住み始める。インド就職が決まり退去→インドでコロナ第二波→インド渡航延期→ノマド家に再入居。
相変わらずコロナに振り回されて思うようにいかなかったけど、それはそれで他の経験ができたし新しい出会いもあったし納得している。ノマド家に住んだおかげで海辺暮らしが気に入ってしまったし。
2021年10月ようやくインド渡航!
2021年10月インド再転職・移住
2021年10月にやっとインドに再移住。
二回目なので慣れている、と思いきや裏切ってくるのがインド。ネタの宝庫。
この時の仕事は派遣だったので、現地で正社員の仕事のオファーを頂き転職。
現在は日系IT企業で営業職をしている。
2021年11月インドでマラソン始めました
インドに戻ってきてから、なぜかランニングサークルに入ってしまい、走るの大嫌いなのに走り始めてしまった。
始めは3キロで死にかけていましたが、毎日1キロでも2キロでも走るようにしてたらだんだん長く・早く走れるように。
2022年10月に初めてハーフマラソン完走。
フルマラソンはいつ走れるのか。。。
価値観リスト
先日やってみた価値観診断なるものの結果
6つの質問に回答したあと、80個の価値観項目の中から大事だと思うものを最終的に10個まで絞るというもの。価値観診断のリンクはこちらとこちら
絞ったもの↓
- 開放:新たな体験、発想、選択肢に心を開く
- 寛容:自分と違う存在を尊重して受け入れる
- 愛慕:誰かに愛をあたえる
- 友情:親密で助け合える友人を作る
- 希望:ポジティブで楽観的に生きる
- 受諾:ありのままの自分を受け入れる
- 笑い:人生や世界のユーモラスな側面を見る
- 情熱:なんらかの発想、活動、人々に深い感情を抱く
- 寵愛:親しい人から愛される
- 成長:変化と成長を維持する
価値観はまた変わっていくと思うので少し時間をあけてまたやってみようと思います。
把握してると自分に軸ができそうなので、みなさんもぜひ。